VI.mange tout
十一月の初め、サン=シャンテリー村にも冬の気配が忍び寄っていた。朝晩は冷え込んだけど、まだ日中は涼しいくらいだった。俺とナタリアは外で遊ぶ方が好きだったし、少しの肌寒さではその気分を阻害されるようなことはなかった。
ナタリアはあの小径にしゃがみ込んで、やっぱりまた芋虫をつついていた。俺はその横顔を見ながら夏の始まりを懐かしんでいた。ナタリアがそれに気付いていたかはわからなかったが、薄い唇は唐突に動いた。
「こいつって食べられるかしら?」
突飛な問いかけに、それほど驚きはしなかった。俺も考えたことがあったし、普通の女の子とは違うナタリアの口から時折飛び出す珍奇な話や疑問が好きだった。
「絶対にまずいだろうな」
「試してみなくちゃわからないわ。やってみるから、私が食べるところ見ていてね」
持ち上がりかけた細い腕を掴まずにはいられなかった。彼女は目を見開いて、俺の反射的な行動と俺の顔とを交互に見た。
「やめておけよ。そんなの確かめて何になるんだ」
「気になることがひとつなくなって、ちょっとだけ賢くなるわよ」
「バカだな。大飢饉でもないのに、わざわざ芋虫なんか食べたら笑いものだ。そんなのより、腹が減ってるならうちでアジナートとルゾールを食べれば?母さんに頼むよ」
ナタリアは冷たい顔で俺を見据えていった。
「ジャンも私を笑いものにする?」
「俺は__違うけど、俺以外はするよ」
「あんたがしないんなら、それでいいわよ。誰にも言わなきゃいいんだわ。離してよ」
俺は返答に困った。彼女に虫なんか食わせられない。納得させた上で、取りやめさせなければいけないが、そんなことは不可能に近かった。俺が力を緩めないので、ナタリアはため息を吐いた。いつまでもそうしているわけにいかなかった俺は、頭が靄がかってうまくはたらかない心地でなんとか窮余の策を捻り出し、それをやっとの思いで口にした。
「……じゃあ、俺が代わりに確かめてやるから、お前はやめておけよ」
「本当に?ジャン!あんたって勇敢だわ!」
芋虫がなんだ?女の子には毒だけど、男には薬みたいなもんだろう。理屈はわからないけどきっとそうなるだろう。
自分の辿ることになる運命など知る由もなく、ただ脱出しようと一生懸命蠢くそれを突き出して、ナタリアはニコニコと笑う。俺は自分の内側を死番虫が這い回るような怖気を追い出すべく、覚悟を決めて口を開けた。突っ込まれた指が歯を掠った。
とてもすぐには噛み潰せなかった。しかし舌の上で生き物にのたうち回られるのは不快極まりなく、長く耐えられるとは思えなかった。覚悟はついに決まらなかったが、ギュッと目を瞑りながらちいさな生命を潰えさせる。溢れかけていた唾液と違わない粘性のある液体が口腔内でブシャッと爆ぜ、二度も咀嚼できずに口を抑えた。
俺が背を丸めてみっともなくえずくのを、吐き出すまいと必死で抵抗するのを、一つ目だけが見ている。
__バカらしい。なんだってこんなこと、この嫌われ者のためだけにしてやる必要があったんだ?
本能の拒絶を感じながらも俺はついに嚥下した。喉まできていた胃酸と綯い交ぜに、腹の底へ突き落とす。
「どう?」
「おれの__……俺の思った通りだ。クソまずいよ」
「そりゃあそうよね。気になってたなんてウソよ?そんなわかりきったことわざわざ確かめる必要ないもの」
口の中はまだ最悪の味がする。抑え込んだ中身を今度こそぶちまけてしまいそうだった。
俺は彼女の涼しげな横っ面をぶん殴ってやろうと本気で思い至った。だが胸ぐらに手を伸ばしたところで、彼女の方からこっちへ傾いたのに驚き、思わず手を止めた。
目睫の間まで迫った彼女の顔はどこまでも美しく、それが今は憎らしかった。――しかし俺の心情は衝撃に耐えられず、即時的に押し流された。
ナタリアが俺にキスをしたのだ。
出来事を脳が理解するより先に、再び俺の内側へ蠢くものが割り入って来る。__それは彼女の舌だった。
彼女の臓器のほんの一部分が、収穫祭で決まりを無視して踊ったダンスみたいに身勝手にぐねぐね跳ね回り、俺の唾液を奪って吸い上げる。全てにおいて芋虫の比ではなかった。その間俺は全身麻酔にかけられたみたいに身動きが取れず、ものを考えることすらできないままだった。
満足したナタリアは俺の状態など気に留めず、あっけらかんとしていった。
「まあ、本当にまずいのね!」