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.ギフト

 自身の家庭がどの階級にあり、自分はどのように振る舞うべきかと言うことを__どの程度気を張っていれば許されるのかということを、子どもは成熟する前からその身に染み渡らせるものである。
 日曜日の礼拝はそれを如実に表す例だった。教えには黙って耳を傾け、習わしに反旗を翻そうなどという悪どい考えをそもそも持たない子どもと、牧師が聖書を読み上げる間じゅう蛮行を企み流浪的で不真面目な考えに情熱を注ぐ子どもがいて、彼らが相容れることはなかった。 


 僕は前者だった。天上の匙加減によって門閥家の三男というところへあてがわれた、手のかからない利口な少年であった。僕は他者というものに阻喪していた。健康な二人の兄は乱暴で威張り屋だった。歳の近い従姉妹の女の子は高慢で、僕が病気がちなのを詰り意地悪した。


 だから僕が友人と呼んでいたのは、別荘の植物たちと__近所のほんとうに幼い少女だけだった。あの頃、植物たちと僕は本当に意志を交わし、話すことができていた。彼らは僕に優しい言葉をかけたし、お互いに信頼していた。植物と僕を繋ぐ清らかな絆と同じ友情を築くことができるのは、知恵に花と差異がない、木のようにおとなしい女の子だけだった。


 僕は空想好きだった。大人は僕をそう評したが、僕自身はそれを空想だとは思えなかった。触れることのできる現実とは別の二元的な世界が、生まれた時から頭の中にあった。そこでは毎日のように面白おかしいことが起きていた。喋る鳥の会議、狂ったお茶会、理不尽な裁判、…大人からすれば荒唐無稽であり、僕にとってはむしろ現実であったその世界の物語を笑わずに聞いてくれたのはあの子だけだった。


 

 

 

 

 夏の間だけの小さな友人との関係は、誰にも知られたくなかった。特に兄などに知られたらあっという間に壊されてしまう。だから、いつもひっそりと会っていた。僕の友愛は二人ぼっちの孤独の中で強固になっていった。彼女は僕を傷つけようとしなかった。あの子は人の傷付け方すら知らなかったのだ。

忌々しいサンダルフォンよ。お前が顕現したならば、僕は真っ先にその翼を毮るだろう。死後裁きが降っても構わない。お前のおかげで僕の人生は地獄だ。


天使の肢体に、それまで抱くことのなかった不浄な情念が湧いたことに、その穢らわしさに、僕の心はとても耐えられなかった。その年以降、僕は一夏を別荘で過ごす習慣を拒むようになったのだ。そして記憶に蓋をした。


 彼女の名前などもう覚えてはいなかったし、終わりまで知らなかった気すらした。__アリスとの出会いが、封じていた過去の記憶の上に不吉な風を起こした。思い出を抱いて煌めく色とりどりの宝石を詰め込み、誰の手も触れることがないよう蓋をした宝箱に、一かけらの穢れが残されていることに気づかないまま錠を下ろしていたことが__少年時代の終わりを知ったあの日のことが、昨日のことのように思い出されていた。


 寄宿学校で過ごした数年は惨憺たるものだった。どこへ行こうと、僕の居場所など存在しなかった。天使は死に、友人などというものは空想の中にしかいなかった。
 
 アリスは傷ついた僕に神が与えた贈り物だと思った。
 穢れなく正直で、僕と同じように孤独な最上の友人だと、あの碧い目を見たときほんとうにそう思ったのだ。_それはとんだ間違いだった。


 アリスは悪魔が僕に巧妙な手段で摂取させ、身体と精神を蝕んだ生ける毒である。
 腐り脆くなった僕の脆弱な精神を、彼女はビスケットのように砕いてみせた。叡智も誇りもアリスの前では屑同然だった。

 あの子は僕が苦悶することを一番の悦楽とする飢えた悪魔に目をつけられた。
 それでも、僕はとっくにアリスを離れ難く感じていた。彼女が悪魔に憑かれているのを知っても想いは揺らがなかった。__僕はなんとしてもアリスと友人であり続けたかった。彼女を悪魔と引き離し、永遠に友であり続けるにはどうすればいいのだろう?僕は少年の頃と変わらない想像力で最善策を考え抜いた。


 誰の目にも触れることのない至上の鳥籠へ閉じ込めておければいい。そこは時の流れすらも干渉できない僕だけの世界だ。都合のいいことに、僕にとっての現実はひとつだけではないのだ。ずっと前からそうだった。


 翅を手折られてはひとたまりもないという点において、天使も悪魔も共通していた。

 

 しかし、なかなか計画を実行に移すことはできなかった。アリスは半分は少女だったのだ。一糸も纏わぬ躰を曝し、飾り立てて記録させ、その対価を喰らう_いかれた関係を僕に強いながら、時折年相応なことを云うし、晴れた日のピクニックの誘いにだって乗った。結局僕は二ヶ月以上、半身となった友人と穏やかで不健康な日々を過ごした。もう時間は残されていなかった。
 

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