Ⅲ.グラトニー
青年の挙動は落ち着きがなかった。立ち上がって書斎を一周したり、組んだ足の上下を入れ替えてみたり、思い当たる限りの気の紛らわせそうなことを一通り、繰り返しやってみた。膝上に横たわったワーズワースの詩集は一片も頭に入らなかった。そして何度も窓の方を振り返ったが、すんでのところで耐え覗き込むことはついになかった。あの少女の来訪する正確な時刻がわかれば__如才なく決めていれば__青年が晴れ渡った午後に辟易するようなことはなかっただろう。
真鍮のドアノッカーがついに音をたてたとき、青年はあれほど待ち侘びていた客人が来なければよかったのにとすら思った。それほどの動揺であった。
コックは青年が火曜の昼に些か非常識な量の食事を用意してほしいなどと言い出した時、驚きを隠せなかった。彼が長い時間を過ごした土地であることは知っていたが、まさか一堂に会させるような旧知の友人が多くいるものとは夢にも思わなかったし、社交に興味のない坊ちゃんが数日で大勢の新しい友人を作るとも考えられなかった。
タウンゼント家の使用人で三男坊を嫌うものはいなかった。彼は兄たちのように威張ることがなく、長男でないのが惜しいほど目下のものにも慇懃であった。ゆえにコックは好奇心をぐっと堪え、仔細な探りを入れることなく引き受けた。しかし彼らの来訪の時間が決まっていないのを聞くとさすがに怪しみ、続けて客人の人数を尋ねたときはその弛んだ瞼をかっ開くこととなった。たった一人だって!
二人きりのダイニングルームに咀嚼音だけが響いている。青年は信じられないものを見るような目で、目の前に並んだ法外な量のご馳走がものすごい勢いで消えていくのを眺めていた。沈黙が当惑を際立たせ、やがて青年を余計な思いつきに至らせた。何か言うべきだろうか?
「どうぞ遠慮なさらずに……」
「してるように、___見える?__」
コールドビーフ、コーニッシュパスティ、ライスプディング、馬鈴薯にマデイラケーキ、チーズにビスケット、アップル・ダンプリング、それらは次々と少女の口へ運ばれ、揃ったエナメル質に粘膜の空洞で蹂躙され、酸性の湖へと転落していく。混乱した青年は、喰らわれたことなど一度もないくせに、少女の内側へ流し込まれていく彼らはその死を持って彼女の血肉へ代わる至上の栄誉を手にしているのだと思った。正気に戻ってからはただ少女を観察していたが、白昼夢はすぐに終わりを告げた。
少女は自分が料理を喰らい尽くしたことに気づくと、「ご馳走様」と一言述べて席を立ち、さっさと背を向けかけたのだ。ジュードは慌てて声をかけた。
「そんなに急いで帰らなくたっていいでしょう?…これは驚いたな。本当にお腹が減っていたんですね」
「うちで出る十倍はあった。お陰でいつもより気分がいいよ。……私、誰かのうちに一人で呼ばれたことないから、勝手がわからない。食事してすぐ帰るのはよくないの?」
「いえ、でも…食事ばかりしていては、仲良くなれないでしょう。僕はご近所であるあなたのことを知りたくてご招待したんです。_そう、友人になるために。僕のことだって教えます、あなたがおいやでなければ」
青年は俯いて、手が震えないよう四肢に力を込めながらいった。少女がなかなか返事をしないので、血の気が引く思いだった。全身が冷え切る前になんとかして顔を上げると、返事の遅れたわけがわかった。赤い舌を覗かせたすまし顔に恐れていた感情は微塵も浮かんではいなかった。ただ彼女の中で、青年に返事をするより手首に着いたグレーヴィソースを舐めとることが優先されたというだけのことであった。
「そんなこと初めて言われた。なんでいやがるわけ?またこうしてご馳走してくれるなら、今すぐ親友になったっていいよ、ジュード」
青年は先ほど目の前で起きたことも、少女の唇が自分の名前を紡ぐことも、夢の中の出来事のような気がしていた。同時に重要なことも思い出された。あろうことか、ジュードは客人の名を知らなかった。
「それは…もちろんです。そのつもりでした。あの、あなたの名前を伺ってもいいですか?」
「アリス・キャンベル」
「それじゃ…アリスさん。僕の部屋へ来ませんか?あなたにお見せしたいものがあるんです」
少女はその誘いに興味をそそられなかったが、拒みはしなかった。アリスにとって自分の望みをいやな顔ひとつせず叶えてみせたその青年は、じつに変人極まりなく__十四年と四ヶ月の人生で初めて信頼を発露させた人間であることは揺るがない事実だったのである。