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I.変人娘

 サン=シャンテリー村に暮らす者で彼女の噂を聞いたことのない人間など一人としていないだろう。どんなに些細でくだらない噂話もすぐに広がるような村だったけど、ナタリアほど悪評高い子どもはいなかった。

 


 ナタリア・ブーケは変わりものなんて易しいものではない。とんでもない嘘つきで、他人の言うことに頑として肯えんじない、最もたちの悪い癇癪もちだった。俺や大抵の男はいちども嘘をつかなかったなんてことはまずないし、大抵の女の子も不治のヒステリーをわずらっているけど、ナタリアには敵わない。

 彼女の言うことにまともに相手なんざしてやらないというのがこの村で生きる子どもの掟で、関われば不幸になるというジンクスまで出来ていた。そうして誰も構ってやらずにいると、黙したまま癇癪を起こし(不機嫌な女の子にはいちいち叫んでもらう方がいいと彼女を見て思った。女の子は静かな方が不気味で、厄介で、扱いに困る)卑劣ないたずらを仕掛けてきたり、自分を無視した連中の持ち物を壊したりする。そうして不憫な思いをした子どもはたくさんいたけど、俺自身が彼女から害を被る心配はする必要はなかった。宝物と呼べるような物はなかったし、あったとしても肌身離さず持ち歩くのは性に合わない。

 


 そんなわけで、大人は口を揃えてブーケ家の一人娘がうちの子どもじゃなくて良かったと言うし、小さな子供が嘘をつこうものならナタリアみたいになるぞと脅す始末である。ナタリアが男の子だったら今頃外なんか歩けないようにされてるだろうし、俺もそうしたと思う。彼女はそのくらい理解不能で奇天烈な、村中から向けられる厭悪を歯牙にもかけぬ正真正銘の異常者だ。褒めるべき点はひとつとしてない。

 __いいや、ひとつはある。一目瞭然でなければ、きっと一生かかったってわからなかっただろう。ナタリアはこの村で、まちがいなく誰にも負けない美人だった。

 


 

 

 


 サン=シャンテリーは大きな村とは言えなかったけど、貧しすぎたことはなく、不足があったとしても補える程度で、何より美しい場所だった。


 朝はその辺りを少しぶらつくだけで植物たちのあくびが聞こえてきた。真っ当な感性を持ち合わせていれば、朝露を纏うひなぎくやプリムラを美しくないなどとは思わないだろうし、じっと眺めてみたくなったこともあったが、俺は決してそうしなかった。花に気を取られるようでは自分がものすごく情けない男に成り下がってしまうような思い込みに俺は支配されていてた。ばからしいといえばまったくそう思わないでもないけど、とにかく俺には重要だった。

 


 遊び場に困ることもなかった。ジュネ川の緩慢な流れに沿って羊歯の群生する林があり、その奥に鬱蒼とした沼地が待ち構えている。カルーナやハリエニシダがポツポツと生えたヒースの丘はうたた寝には最高の場所だった。堂々たる権威と威信で大地に安らぎの薄暗がりを提供する菩提樹や天へほっそり伸びていくポプラ並木は、晩秋には一気に葉を落とし骸骨のようになるが、その呆気なさすら俺は好きだった。

 女の子にとってもこの村は素晴らしい場所なんだろうと思う。彼女たちは学校で都会への憧れを口にすることがあったけど、次の瞬間には今日は授業が終わったらどうしましょうねと目を煌めかせて討論した。
  花絡みの"お行儀の良い催し"をする計画が立てられていたら、仲間も俺も相手しなかったけど、そうでないときは男も女も一緒に駆け回って遊ぶこともあった。

 そのような関わり合いの中で何年もナタリアの姿を見ていなかった。
 理由は単純明快なもので__つまりは彼女が人徳の欠乏によって特別嫌われているので、誰も遊びに誘おうとなど言い出さなかったし、彼女も仲間に入る気はない様子だった。

 正しくは入り直す気がないと言うべきか?本当に幼かった頃は彼女も居たはずだ。嘘吐きナタリアが完全に嫌われたのがいつか、正確な時期は誰も覚えていなかった。

 


 ナタリアの父親はパリへ働きに出ていて、彼女も年に一度か二度はそこへ行っていた。それが女の子たちの嫉視を燃え立たせる火種の一つだった。都会の話が聞いてみたかったけど、そんな仲良しの真似はできなかったし、聞いたところで本当のことなど教えてもらえるわけがないからだった。

 


 今や彼女は前世は人殺しかあるいは人のふりをしている悪魔のようにいわれている。俺は表向き賛同しながら、それは行き過ぎた評価のように感じていた。


 なんせナタリアのうちは真隣で、毎朝「おはよう、ジャン」だなんて言ってくるのだ。その後ろにまるで人間の少女みたいな文句を添えてくる。今朝は「良いお天気ね」だった。掟と「相手にしない方が身のため」という共通認識があったとしても、俺は彼女のあいさつを完全に無視するのはむしろ、底意地が悪く不実であり、俺という人間の品格を下げるような気がした。
そんなわけで、軽く右手を上げて「よう」とだけ返すことにしていた。嫌われ者の嘘吐きと交わす言葉などそれで十分だろう。

 

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