III.真昼のきら星
一体なにがきっかけでそのような話になったかは思い出せないけど、とにかく俺がナタリアに自分が登れない木などこの村に一本もないといったことは確実だった。彼女がそれに噛み付いたので、俺は発言が真実であることをただちに証明しなければいけなくなったのだ。
かといって俺は嘘を言ったつもりはないので、焦っていなかった。たとえ初めのとっかかりがない樫の木でも十数年培った技巧でやってみせる自信があった。ナタリアは歩きながら一つ目でさかんに選別し、ようやく一本の木の前で立ち止まった。
「ねえジャン、あれがいいわ」
「よし、わかった。そこで見てろよ」
りんごの木にも登れないようじゃ男だとは認められない。老婆のようにひんまがった木のうろに足をかけ、ぐっと力を込めて身体を押し上げる。滑り出しは上々だった。そのまますいすいと上へ移動し、もう十分というところまで来てから、太い枝に腰を下ろして地上から見上げているナタリアに声をかけた。
「どうだ、証明になっただろ?」
「まさかそこでおしまい?半端じゃないの。そんなんじゃ登ったって言わないわよ。ねえ、一番太陽に近い葉っぱを取ってきて」
俺は呆れて、それは無理だと言いかけた。ナタリアがそれを見越したように「取ってくるのよ」と繰り返した。
それほど長く悩まなかった。彼女の言い分は的を射ているような気がしたのだ。確かに幹はあと三分の一くらいある。その時自分を動かしたのが果たして純粋な勇敢さであったのか、俺にはわからない。彼女の阿漕な無理難題をなんでも叶えてやれるような_そうしてやりたいような_気がした。とにかく俺は唇をなめてから、細い枝へ手を伸ばした。
それは一瞬の出来事だったが、とてもゆっくりと感じられた。ボキリという音がすると即時的に天地がひっくり返った。太い枝に二度胴体を打ちつけたのはこたえたが、硬い地面へ落ちた痛みに比べたらどうということはなかった。そのくらい痛かったのだ。
強く打った頭は警鐘を鳴らし、視界が白く明滅する。覗き込んだ彼女の顔の周りに星屑が散ったようにみえた。俺が幻に気を取られ口を開けていると、彼女はいきなり大声で笑い出した。
「バカね!あんな細い枝、赤ちゃんだって支えられないって見たらわかるじゃない!」
反射的に体を起こした俺があまりの痛みに面食らって口をはくはくさせ、言葉ひとつも発せずにいたのが、余計にナタリアを笑いのるつぼへ陥れたらしい。腹を抱えてふらつく彼女を見て、俺はだんだん顔が熱くなった。
「笑いすぎだ!去年なら登れたさ。俺が大きくなりすぎたんだ」
「あんたがあんまりこっけいだから笑ってんのよ。それにしてもジャンって丈夫なのね。てっきり頭蓋が割れちゃったかと思ったのに」
「あのくらいで割れてたまるか。痛くもなんともないよ」
肋骨はズキズキ、頭はガンガンしたし、視界は相変わらずチカチカしていた。俺はふとそんなつもりはなかったのに、嘘をついてしまったことに気付いた。事実として登りきれなかったのだから、今から詰られるのだろう。そう考えた途端彼女の我儘に苛立ちが湧き上がってきた。
しかしナタリアの関心は俺を尋問することには向いていなかったので、行方を失った怒りはすぐに萎れてしまった。
「ああよかった、だってまだ日が暮れるまでたっぷり時間があるもの。別のことして遊びましょ!」